昭和50年代後半に清水市の一乗寺の丹羽住職と仕事の関係で
関わりを持つ事がありました。
その後丹羽住職は静岡の洞慶院に移られ、永平寺の禅師になられたようでした。。
その住職から頂いた色紙には「耐寒梅花」?と記されていました。
今、その色紙は存在しないが梅の開花時期になるとその言葉を思い出す。
この言葉が好きで、我が家にも紅梅が植えてあり、間もなく開花しよう
としています。
人生、人それぞれ色々な苦難等会う人、会わない人、花咲く人、花咲かない人もいると思う。
しかし、どんな状況化であっても、前向きに過ごさないと何も起こらないと思う。
しかし、このコロナ禍においては、どのように自分を制するかが、重要だと思う。
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